オープンした頃は、もかが再開したと思って来てくださるお客様がたくさんいらっしゃいました。今でもときどき、もかに通っていらしたお客様がお見えになります。「もかは、足を踏み入れるだけで背筋が伸びるお店だった」とおっしゃった方もいました。
もかはあまりにも有名なコーヒーのお店でしたから、扉を開けて紅茶のお店だと分かれば、そのまま帰られても不思議ではありません。それでも、もかを知る方の多くは「コーヒーではないから」と帰られることはなく、飲んでいってくださいます。もかの空間を懐かしむ思いもあるのでしょうが、ちゃんと味を見ていただいているのだと思います。飲み終えたあとに、「このお店に引き継いでもらって良かった」とおっしゃってくださった方もいました。お店を始めてから一番うれしかった言葉の一つです。
店内の棚に飾っている奥山儀八郎さんの版画『かうひい異名熟字一覧』と、もかの店頭に飾られていたデミタスカップは、ある日、ご年配のご婦人が「ここにあった方がいい」と持ってきてくださったものです。どういういきさつでお持ちだったのかは分かりませんが、もかに通っていらした頃のことや、標さんご夫妻とお話しされていたことなども伺いました。

版画とデミタスカップ
2009年の新聞記事によると、もかが喫茶をやめて豆売りのお店になったのは2001年のことだそうです。その年は、私が初めてスリランカを訪ねて、t-break を始めた年でもありました。

もかの頃に店内に並んでいた器具やカップの多くは、和子さんが三鷹の中近東文化センターに寄託されたそうです(読売新聞 2009年7月1日)

標さんの著書『咖啡の旅』。仕入れでインドやスリランカへ行くためにしばらくお店を休むとき、家主さんにご挨拶に伺うと、「標さんもコーヒーを求めて海外に行ってらしたね」と言われたことがありました
それから8年後に、もかの跡で chai break を始めました。この建物が建ったのは、私が生まれたのと同じ1968年10月です。せっかくの歴史がある場所なので、内装もできるだけもかの雰囲気を残して、あとを引き継ぐ形にしました。もかが残してくれたものは今も店内にあり、もかの店頭に飾られていたデミタスカップも、またこの場所に戻ってきました。

表から見たもかの窓辺の飾り棚(2009年の内見のとき)
名店の跡を引き継いだということは、今もお店をやっていくうえでの指針になっています。こうして振り返ってみると、いろいろなことがつながって、今の chai break があるのだと思います。

今の看板
